柳生石舟斎
柳生石舟斎
1527-1606
商品一覧

生い立ち

1527
柳生家厳の嫡男として生まれる
1544
柳生家の本拠地・柳生城が筒井順昭の攻撃を受け、落城。筒井氏に仕える
1559
三好長慶が、重臣・松永久秀に命じて大和へ侵攻。筒井氏から離反して松永久秀に仕える
1563
上泉信綱が奈良を訪れる。試合に惨敗し、新陰流への入門を決める
1568
主君・松永久秀とともに織田軍と協力して大和の平定を進めるも、高畠(奈良市高畠町)で落馬し重傷を負う
1594
徳川家康に招かれ、京都鷹が峰にて無刀取りの術技を披露し、家康が門下に入門する
?〜1606
柳生谷に身を隠す
1606
4月19日 柳生庄にて死去

エピソード

「鬼滅の刃」あのシーンは宗厳のエピソードをもとにしていた!

奈良市柳生町の戸岩谷の奥「天石立神社」には2つに割れた巨石があります。アニメ「鬼滅の刃」の聖地として有名になりましたが、実はあのシーンは宗厳のある伝説をもとにしているのです。
宗厳が剣術の先生であった戸田一刀斎を打ち負かすほどの腕前であると噂になり、方々から腕自慢が柳生に訪れますが、宗厳に勝てるものは一人もいませんでした。
しかし、東国から来た上泉伊勢守秀綱(こうずみいせのかみひでつな)がやって来ると、新陰流を編み出した名人に容易く一本を取られてしまいます。そこで宗厳は秀綱の弟子となり、日々修行に励みました。
そんなある夜、天狗が現れ宗厳に襲い掛かります。宗厳が天狗を一刀のもとに斬り捨てると、そこに天狗の姿はなく、傍にあった大きな石が真っ二つに斬られていました。
それからその石を「一刀石」と呼ぶようになり、今でも天狗のつけた傷跡が残っているそうです。

柳生石舟斎に関連する商品はこちら!