木下家定が姫路城城主だった時分、宮本武蔵は名を伏せて足軽奉公をしていました。その頃城内では天守に妖怪が出るという噂が広まっており、それを恐れた他の奉公人は城の見張り番を勤めることができず、警備すらままならない状態だったのです。
しかし、宮本武蔵だけが妖怪を恐れる様子も見せず、平気で見張り番の仕事をこなしていたので、家老はその正体を宮本武蔵であると見破り、妖怪退治を命じます。
武蔵は提灯を手に、暗闇の中の天守閣に登っていきます。階層を上がるたびに激しい炎と轟音に襲われましたが、武蔵が太刀に手をかけると、それらは収まりました。
天守閣で妖怪が現れるのを待っていると、妖怪ではなく美しい姫が姿を現しました。「わたしは姫路城の守り神、刑部明神です。今夜あなたが来てくれたおかげで、城に巣食う妖怪は逃げていきました。褒美としてこの剣を与えましょう」と言い、郷義弘(ごうのよしひろ)の名刀を武蔵に残していったのです。
宮本武蔵といえば二刀流を使いこなす武術の達人としてのイメージが強いと思いますが、晩年は芸術家としての一面も持ち合わせていました。
特に水墨画が一番多く残っており、「芦雁図」「紅梅鳩図」「枯木鳴鵙図」などは重要文化財に指定されています。
一瞬の動きをとらえた描画には、武術に長けていた武蔵が体得した「観見二眼」(目でみることが見、心でみることが観)にどこか通じるものがあるのかもしれませんね。